2017年12月16日土曜日

ラヴェルに恋して

高2になってウッド材に覆われたセパレート・ステレオが我が家に鎮座すると、赤いプラスチックの真ん中がパカパカ開くホータブルステレオで聞いていたモンキーズのLPやベンチャーズの4曲入り赤いEPでは、その堂々とした威容に申し訳ない気がした。



そこで、買い求めたのが本物を聞いたアルフレッド・ブレンデル演奏の「ベートーベン3大ソナタ」とヘルムート・ヴァルヒャの「インヴェンションとシンフォニア」の2枚だった。

ヴァルヒャ盤を買い求めたのはなぜだろう。その後、ジャズに凝りだし、3000枚もレコードを買ったが、ほとんどどこで買ったか覚えていた。レコード棚から上に引き出した時の指の感触とジャケットで記憶していたのだ。それなのにこのレコードには全く記憶がない。バッハという名前だけで買ったのだろう。



ワクワクしながら灰色のザラザラした紙に真ん中に白黒のヴァルヒャの横顔のジャケットから慎重に盤を取り出し、ターンテーブルのゴムの上に乗せ、カートリッジを下すと、とてもガッカリした。
ピアノではない。ハプシコードだった。が、その音楽には心惹かれた。

こんな風に弾いてみたい。それどころか、恐れ多くもバッハやベートーベン(当時はこう表記していた。今はベートーヴェン。こちらの方がリッパに感じられるから?)のような曲を書いてみたいとの衝撃にかられたのだ。
知らないことほど怖いことはない。

こんな私でもさすがに独学でその域に達することができるとは思わなかった。そんなことができたのは、赤い塩ビの朝日ソノラマのソノシートで聞いた幻のソ連の天才ピアニスト、リヒテルぐらいだ。それはずーっと後で知ることなのだが。

小学校1年でやめたオルガン教室以来、オルガンはおろかピアノも習ったことはない。
幸いなことに、我が家のステレオが右の音しか鳴らないと気づかせてくれたIがピアノを習いはじめたが、すぐにギターをやりたいのでやめたばかりだという。
おおー、渡りに船。
一緒に連れて行ってくれと頼んだが、やめたから行きたくないという。
近くだったので場所を教えてもらい、一人で尋ねた。個人の家だった。
おばちゃんが出てきて、誰、どうしたの。と聞かれ、事情を話し、ピアノを習いたいのですが、というと、今日は先生は来ていないので後から連絡してくれるとのことだった。
しばらくしてこの日だったらいいよと電話があった。

その日が来た。アップライトピアノのある居間に通された。
そこには、清楚で上品、しかも美人の先生がいた。思春期まっさかりの少年が憧れる典型的なパターン。ドキドキした。
先生は私に名刺をくれた。うまれて初めて名刺というものをもらった。更に動悸は増した。
「河方みどり」と印刷されていた。
独学でやってきたが、いずれはベートーベンを弾きたいというと、みどり先生は、「弾いて聞かせて」といった。ピアノには簡単な楽譜が置いてあった。
Nとの対決を大勝利で飾って以来、歌のテストがある時以外は、通知表で10段階評価の10だった私は、自信をもって鍵盤にむかった。
「なんだ、こんなもの。よし、どうだ」と弾き終えると、先生はニコっと笑って、さわやかな声で言った。
「あなたの演奏は自分に酔いしれているだけよ」
な、なんという残酷な言葉。
大阪万博で来日して以来、空前のブームとなったカラヤン。同級生もクラシックの演奏家など知らないから、カラヤンと呼ばれていた私がだ。しかも、こんな幼稚な曲に。
こんなこといわれたのは初めてだ。
容姿に惑わされてはいけない。顔は女神だが、心は悪魔かもしれない。
思春期の憧れなど吹っ飛び、ムッと来て「どこがですか」と聞き返した。
みどり先生は、その楽譜を指さしながら言った。
「なぜ、ここにスラーが書いてあるかわかる?」
簡単ではないか。バカにしているのか。
「なめらかに弾けということでしょう」
なにも応えず、「じゃあ、次のスラーは?」
なにを言っているのかわからない。
さらに、「複数のスラーのかかった音節の上にさらにスラーがかかっているのは、どうしてなのかわかる」
ますます、言っていることがわからない。

困惑して何も答えられなくなった私に、先生は丁寧に説明してくれた。
動機(モチーフ)の組み合わせや発展で構成されている音楽にはフレージングというものがあり、たんにスラーやスタッカートがついているのではない。
作曲家がなぜそれらの記号をつけているのか。それらを読み取ることによって人に聞かせることができる音楽になる。といって、実際に解説しながら演奏してくれた。
簡単なつまらない曲が、名曲に聞こえた。まったく違ったものだった。
音楽ってこんなに奥深いものだったのか。
こんな曲でさえ、いろいろと解釈があるのに、もっと複雑なベートーベンなんて何十年もかかってしまうのではないか。
衝撃でおとなしくなった私に、みどり先生は「大丈夫。これからいっしょにやっていきましょう」とさらに透明感のある笑顔でいってくれた。

その一言で、絶望の底から少し上を見上げることができた私は、何か弾いてもらえませんかとお願いした。
目の前でクラシックの曲を聴く機会は、同級生の女の子が弾く、「エリーゼのために」とか「乙女の祈り」しかなかった。

ちょうど、練習している曲があるの。ラヴェルのソナチネ。と先生はピアノに向かった。
ソナチネ? クレメンティ? ソナタより格下の曲? と、一瞬思ったが、鳴り始めた音の流れは疾走するような曲想のものだった。



ピアノの鍵盤の上から下まで使った、流れるようなメロディー。聞いたこともない音の使い方。さらに一つ一つの音が細かく刻まれ揺らいでいる。
目の前で体をくねらせて(その時はそう見えた)、少しうつむき加減になった瞬間、先生の左手の指は鍵盤の一番左の音、つまり、最低音のラを力強く鳴らしたのだ。ボンと響いた直後、スウッと宙を舞い、すばやく体の前にもっていく。未だにその光景と音は脳裏に焼き付いている。
外は大雨で、日が落ちて暗かった中での出来事だと印象に残っているが、曲のイメージがそう感じさせていたのかもしれない。



初めての経験。ナタリー・ドロンの「個人教授」をはるかに凌駕するものだった。
最初に目に入ったみどり先生は淡い気持ちを起こさせる人だったが、そんなものはもうぶっ飛んでしまった。
本物の女神だった。この先生なら間違いない。どんなきついことを言われてもついていこうと心をきめた。
師匠に恋心を抱いてはいけない。その抑圧された心は、このラヴェルの曲に転化され、一瞬で昇華された。
ラヴェルに恋してしまった。もちろん彼の作った曲だけど。

家路につく私は思わず口ずさんでいた。
それは今聞いたラヴェルのソナチネではなく、森昌子の「せんせい」だった。
♪あーわい初恋消えた日は、あーめがしとしと降っていた~
あっ、大雨の記憶はこれだったのか。



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