2018年1月9日火曜日

無謀にも教員採用試験に挑戦!

インフルエンザに懲りて、大阪から九州に帰ってきた。
大学は中退しているので、小学校の教員にでもなろうと思いついた。
早速、教員養成所の入試を受けた。
不精髭でむさくるしい私服は私だけだった。
スケジュールを書いた黒板を見ると記述試験終了後、面接がある。
見落としていた。
私一人だけ異様だった。

次の日、早々に不合格の通知が届いた。
この養成所を卒業した妻が言うには、風紀にはとても厳しかったそうだ。
試験問題ができたがどうかはわからないが、できていたとしても必ず不合格だっただろう。

その時、玄関に教員採用試験の合格者が張り出されていた。
たったこれだけという人数だったので、びっくりした。
教育大学だともっと合格率が高いと思ったが、採用試験対策ばかりやる養成所や女子大のほうが合格率は高いとわかり、とても、教員にはなれないなと諦めた。


その私が、何故、再び小学校の先生になろうと決意したのか。
当時、付き合っていた彼女が中学の音楽教師で、父親も校長を目指す中学の教頭だったからだ。
彼女は言った。父が、どこの馬の骨ともしれない男に大事な娘とは付き合うことも許さない。教員しか認めない、と。
憧れのお嬢様だったから、無謀にも当時50倍はあった小学校の教員採用試験に挑戦した。
といっても、試験まで1か月しかない。

教員をしている友達のUに相談すると、採用試験に二浪しているYさんを紹介してくれた。
尋ねると、部屋の壁の4面に1年間365日の時間割が貼ってあった。
1日10時間以上、びっしりと書き込まれたスケジュール表だった。
これを本当にやったんですか? と聞くと、はい、全部やりました。それがこれですと、何十冊ものノートを見せてくれた。
彼は早稲田を出て、東京で企業に勤めたが、どうしても小学校の先生になりたくて、会社をやめて九州に帰って受験勉強をしているが、2回ダメだったという。
見ただけで頭痛がしてきた。

私は人生においてほとんど勉強をしたことがなかった。
高校は入試問題直前2週間という薄っぺらな本を1週間で挫折して受けた。
大学は現役では1校1学部しか受けず、しかも、全くわからないので、一番前でストーブの温かさに負けて寝ていた。
予備校の試験にも落ちて無試験クラス。途中はほとんど行かずに大阪の難波で遊んでいたが、さすがに直前1か月間はラジオ講座をまじめにやった。
そのくらい勉強していなかったので、この時のショックは計り知れないものがあった。
早稲田で、365日×毎日10時間×2=7300時間。とんでもない天文学的な時間だった。

自分なりに計画を立てた。
生徒に教える教授法を最初に読んで、それを参考にした。
一番に目に入ったものが、「エビングハウスの忘却曲線」。
無意味な言葉をどんどん覚えさせても、1時間後に半分、一日たつと1/4しか残らないという実験だ。
これはいいことが書いてある。
まじめにこつこつとノートをとってもすぐに忘れてしまうのでそんなものはムタだと解釈した。

7300時間に対抗する方法を考えた。
過去に知り合いが受けた教員採用試験問題集をUが30冊ほど集めてくれた。
小学校はもちろん、中学、高校教員用のものまであり、積み上げるとかなりの高さになった。
幸いなことに答え合わせのために、正解がすべて書き込んである。
その問題集を上から下まで全冊片っ端から、答えをひたすら見ていく。ただ見るだけ。
ノートは一切取らない。
勉強は質より量。忘れてもかまわない。
どうせ覚えても忘れるのだから、また見る。その繰り返し。
見るだけだから、時間もかからない。気楽にやれる。
何度も見ていると、傾向性もわかるし、似たような問題もたくさん出てきて、どんどんわかるようになってきた。
仕事も忙しかったので、1日2時間ほどこれをやった。
そのうち、いつもの悪い癖が出て、本の題名に魅かれて、どんな本だろうと興味が湧いてきた。
時間もないのにペスタロッチの「隠者の夕暮れ」やデューイの本などを読んでしまった。

あと一週間に迫った時、Yさんから一緒に勉強している4名のメンバーと喫茶店で最後の受験対策をやるので来ませんかと誘われた。
自分がどのくらい身についているかを確かめるいい機会だと参加した。
そこで初めて聞いた言葉。「学習指導要領」。
聞いたこともない言葉だった。
Yさんたち全員が、「指導要領も知らないの!」と声をそろえるほど、びっくりしてあきれ返られた。
その日は「指導要領」の暗記具合を確かめるものだったので、チンプンカンプンで、こんなに勉強した人たちが受けるのか。それにみんなも何回も挑戦していると聞いて二重にショックを受けた。
何もわからずにポカンとしている私に、みんなは「指導要領」のポイントとか、採用試験の重要な部分を占めて、配点も高いなど親切に教えてくれた。
ライバルとはみなされなかったからだろう。

とにかく手に入れないといけない。近くの本屋に行くとそんなものはないという。
天神まで行って、小学校用の全教科を買ってきた。
「指導要領」対策の繰り返し見る作戦をプラス1時間増やした。

受験当日、周りの受験生はみんな自分がやってきた問題集をもって、試験が始まるギリギリまでそれをやっていたが、私はあまりに膨大な数だったので1冊も持っていかなかった。
目のやり場がなく、ずっと外の樹木を見つめていた。
みんなはそれを白い目で見ていた。たぶん、きっと冷やかしだろう。受かるつもりがないから…と。

いよいよ試験が始まったが、やってみると案外簡単だった。
帰宅してから、絶対に受かっていると、Uの家に行って事前の合格祝いをやった。

結果は…
合格。
こんないいかげんな私が通ったのだから、Yさんも絶対に合格していると確信して、お礼に伺って「合格おめでとうございます」というや、Yさんの家にいた友達が「きさま、いいかげんしろ。ぶん殴るぞ」「自分が通ったからといって、人をバカにするのもほどほどにしろ」と烈火のごとく怒った。
5人グループは全員不合格だった。

2次試験は、面接、ピアノの弾き語りと水泳だった。
面接は5人ぐらいのグループに分かれて、それぞれ読んだ本の感想を述べるみたいな内容だったと思う。
一番目に発言したが、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」に感動していたので、我ながら滔々と話した。
今読むと何をそんなに感動したのかわからない。

問題はピアノの弾き語りだ。
ピアノは手慣れたものだが、歌はとにかくヘタ。
前の順番の女の子は、弾き始めるやいなや面接官に演奏を止められ、泣き崩れた。
人前で歌を、しかもこんなスチュエーションで……。
緊張が走った。
「とべとべトンビ」を選択していた私は覚悟を決めた。
ピアノ協奏曲みたいなイントロで始まった「トンビ」は、歌が始まると同時に、面接官も周りも思わずプッと吹き出すようなものだった。
そのイントロと伴奏で、次の受験者が全く弾けなくなって申し訳なかったが、歌をカバーするためにはそれも仕方がないと心を鬼にした。

最後は水泳だ。何メートルのプールだか忘れたが、往復の距離を泳ぐものだった。
私はクロールができない。歌同様、とにかくヘタ。でも、平泳ぎは自信があった。
平泳ぎとクロールでは圧倒的な差がある。私以外は全員クロールだった。
ここでビリになれば、不合格になるかもしれない。とにかく全力で挑もうと必死で水をかいた。
泳ぎ終わって顔を上げるとゴールには誰もいない。
どうしよう。完敗だ。と思った瞬間、バシャバシャと音が聞こえ、残りの人たちがゴールしてきた。
一番早かったのだ。いや、クロールが全員遅すぎたのかもしれない。

2次試験も合格した。

が、決定的な問題があった。
教員免許を持っていなかったのだ。
教員免許を持たなくても採用試験は受けられた。

通信教育という手もあったが、それでは採用試験の有効期間が切れてしまう。
教員資格認定試験というものがあることを知った。
内容をみると採用試験など問題にならないほどの難問だった。
数パーセントしか合格しないという。

とにかく、それを受けるしかなかった。
これは採用試験と違って、教職に関するものと、教科を選択したもので受験する。
数学と音楽と家庭科を選んだと思う。
数学もできた。音楽は完璧。あとは家庭科を残すのみ。
これで受かったかなと思いながら、家庭科の問題が配られた。
料理方法とかミシンの使い方ぐらいかとあまく考えていたが、グラフばかりでもこれは何を表しているとか、見たことのないものばかりで、結局、1問も解けなかった。
家庭科がこんなに奥深いものだとは知らなかった。


結果は不合格だったが、あまり落ち込まなかった。
その前に彼女から不合格を告げられ、別れていたから……。
私のせいで教員になり損ねた方、不純な動機でごめんなさい。


その後、周りにはたくさんの教員試験浪人がいたが、この勉強法を教えると、みんな合格していった。
Yさんだけは、プライドを傷つけられたみたいで聞く耳を持たなかったが、1万時間をこえる圧倒的な勉強量で合格し、後に教頭にまでなった。

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