娘たちの成人式があった。
「たち」とは手塩にかけて育てた双子だ。
予定日より1カ月前に目の前で妻が破水したのを見た私は腰を抜かしてしまった。
女はこんな時強い。すぐに車に乗せて病院に連れて行ってと言った。
帝王切開で取り出すと1500と1700グラムしかなかった。
妻はそのまま出産した病院で10日間入院し、2人は別の病院のNICUに入った。
保育器の中にいる我が子は片手で抱えることのできるくらいの小さな子だった。
毎日、退社すると妻のいる病院で冷凍された母乳をもらい、NICUに持っていた。1週間ぐらい片道40キロぐらいを通い続けた。
その母乳を生まれて4日目に口に管で繋がっている注射器で、50CC初乳したのは私だ。
たったこれだけと思うほど少ない量だった。
1カ月ほどしてようやく保育器を出た。
最初の沐浴も私。NICUには1カ月半いた。
退院してからも、一人が夜中に泣き出すと、泣き止むまで抱いているが、もう一人が起きて泣き出す。
交互に泣くので夜中じゅう起きていた。かなり長い期間続いた。
その間、妻は日中の子育てに疲れて爆睡していた。
保育園への送りは毎日、迎えもほとんど私。
高校になってからもクラブで遅くなるので駅まで迎えに行った。
体も人並みになった成長した娘たちがあでやかな振袖で成人式を迎えた。
私は成人式に行っていない。当時の成人式は1月15日。
その日、大阪のフェスティバルホールでビル・エヴァンスを聞きに行った。
ハンク・ジョーンズ、ジョン・ルイス、マリアン・マクパートランドもプレイし、なんとも豪華な顔ぶれだった。
と思って、調べてみると、成人式の翌日の16日だった。
単に成人式に行っていないだけだった。
1人暮らしだったので行くという感覚もなかったのだろう。
今でも、毎年、成人式の日になるたびに、首をまげて下にした顔を左に曲げて、髪を垂らしながらうつぶせ気味に演奏するビル・エヴァンスの姿を必ず思い出す。
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