同じクラスのNの部屋に遊びに行くと、ドラムをしている兄貴とバンドを組んでいる。といって、エレキギターで曲を弾き始めた。
テケテケテケテケ~~のイントロで有名なベンチャーズの「パイプライン」。実にかっこよかった。
小学校4年で初めてベンチャーズを聞いて以来、エレキといえばベンチャーズだった。ビートルズは話題になっていたが、聞いたことはなかった。いや、聞こうともしなかった。あのヘンテコリンなヘアースタイルが当時の小学生にはうけなかった。
中3の時「レット・イット・ビー」のEPを何十回も聞くまでは、ビートルズは食わず嫌いだった。
軽くギターのネックを握って、フレットを滑らすNに、こいつは天才だ。と畏敬の念で仰ぎ見た。
その頃、長谷川きよしが「別れのサンバ」でデビューした。盲目のサングラスの歌手が巧みな指の動きでフラメンコ調の伴奏を奏で、「さびしさを あーあー」と「さびしかったのーね」の部分が終わると、爪でボディーをかっこよく叩く。これが流行った。
ベンチャーズはとても弾けそうになかった。別れのサンバはもっと難しそうだったが、ギターを持って爪でボディーを打ち鳴らしたい。
と母にねだったが、入学祝のラジカセがここで大きな障害として立ちはだかった。「あんな高いもの買ってあげたのだから、ギターもなんてとんでもない」と一瞬にして交渉は決裂というか玉砕した。
どうしてもあの「別れのサンバ」を弾いてみたい。と諦められなかった私の目に、居間にあるカワイのアップライトピアノが飛び込んできた。
ピアノを習う妹のために母が会社の寮母として苦労して買い求めたものだ。私より耳のよかった妹はもうそのころにはほとんど鍵盤に触ることもなかった。
花瓶が載った物置と化したピアノの蓋をそっとあけ、「別れのサンバ」のメロディーを一音一音思い出しながら弾いてみた。やっぱり、カッコイイ。
でも、何かものたりない。伴奏、ピアノで言えば左手がわからないのだ。
幸いに音符は読めたので楽器店に行くと、あった。ブルーの表紙のど真ん中に長谷川きよしの写真が大きく印刷されている「別れのサンバ」。ペラペラだった。
ピース譜なんて知らなかった。それしかなかったので中を見てみると、メロディー譜の下にあるはずの左手の低音部分には五線譜より一本多い6本線に、オタマジャクシの玉の代わりに数字が書いてあった。
なんだこれは。初めて見る。(ギターのタブ譜だった)
おまけにメロディー譜の上にはアルファベットの謎の記号。コードの存在なんて全く知らなかった。
どうしようかと迷ったが、「別れのサンバ」の官能的な魅力に私は負けた。
この謎の楽譜を買い求めた。
その日からピアノに向かい、険難の峰に登るがごとく、この楽譜への挑戦が開始された。
カポは3フレットにと書かれ、最初にAmとある。
楽譜はイ短調。テレビから録音したテープはハ短調だった。楽譜と調が違う。
ショックの上にナゾの記号の羅列。
テープの長谷川きよしは、ギターのみの伴奏、しかも巧みなスリーフィンガー奏法だったから、一層困難さが増した。
学校から帰って、テープを聞き、楽譜を凝視しピアノにむかい続けた。来る日も来る日も。
ついにその謎が一瞬にして氷解する時が、突然やってきた。人間、何事にも立ち向かっていけばいつかは報われる。プロジェクトXのように。
ある授業中のことだった。先生の話など耳にはいらず、Am B7 E7 Am Ammaj7 Am7から始まる「別れのサンバ」の楽譜に書かれたすべてのアルファベット記号、それらをABC順に並べ替えたり、mとmaj7、sus4 と大文字のアルファベット以外を真っ黒になるほどびっしりと書きこんだノートを見つめていたら、決まった法則があることに気づいたのだった。
あっ、Aがラの音、Bがシ、Cはド。mは短調、7は7度の意味であることを。
打ち震える感動が抑えきれなくなって、おもわず立ち上がった私は、「わかった!」と静かな教室に響き渡るような声で叫んだ。
クラスのみんなはビックリしたが、先生は冷静な声でいった。「では、この答えは」
当然だが、答えられなかった。
「ユリーカ(Eureka)!」と叫んだアルキメデスも同じ感動を味わったに違いない。
今みたいにピアノ用のコードブックがあれば苦労しなかっただろうが、おかげでその時から、メロディー譜さえあればコードづけし、歌謡曲でも何でも弾けるようになった。
しかし、これがまた私の人生を狂わせていくはじまりともなったのだ。続く~ぅ。
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