中3になり、「別れのサンバ」は、胸中にわずかに残っていた燻ぶった炭の燃えかすのような音楽心に火をつけはしたが、燃え上がるまでには至らなかった。
低音部が半音ずつ下がっていく魅惑的な辺見マリの「経験」とか、ビリーバンバンの「白いブランコ」などにコードをつけていくのが楽しみで、演奏というより、理論を追求している音楽学者みたいだった。
ある日の放課後。音楽室のピアノで探求を続けていると、たくさんの男女の取り巻きに囲まれてNがやってきた。ギターのNとは違う。転校してきたばかりの医者の息子のNだ。ピアノを弾くという噂だ。兄もピアノをやり、ショパンがアイドルだと聞いた。私はショパンなど聞いたことがなかった。
Nは、私の姿を見ると言った。「どけ!ヘタクソ!」
取り巻きの視線も冷たいものだった。普段はいい友達なのに。
その思い空気に弾き飛ばされたかのように椅子から立ち上がった。
「お前なんかがピアノは弾くな」というやいなや、サッと座り、当時はやっていたビートルズの曲を弾き始めた。
「ヘイ・ジュード」だった。
確かにカッコイイ。弾く格好も顔も、何枚も上手だった。
取り巻きたちは一緒に「ヘイ・ジュード」の歌詞を口ずさんだ。
それもショックだった。英語で歌っている!
盛り上がり、曲が終わると、Nは止めをさした。
耳慣れたイントロ。
「このテープは自動的に消滅する」のセリフで中学生の心をわしづかみにした「スパイ大作戦のテーマ」だった。
私は完全に打ちのめされ、その場から立ち去るしかなかった。
普通なら、家に帰って落ち込み、ピアノから目をそらし、鍵盤に触れる気さえできなかったかもしれない。
しかし、私にはあのコードの法則を見つけた時の喜びがしっかりと全身に刻み込まれていた。
よし、やるぞ。
あいつが「ヘイ・ジュード」なら、「レット・イット・ビー」で投げ飛ばしてやる。「ジュード」は柔道と思っていた。
ビートルズの曲で持っていた唯一のEP。
レコードが白くなるまで聞いた。
左手が親指、小指とオクターブで動くイントロ。
最初はなかなかできなかったが、譜面に書き取り、練習した。
習ったわけではないから、たくさんあった方がいいと思い、五線紙の上に歌詞と勘違いするほどコードもつけた。
時に挫けそうになり、諦めかけもしたが、「どけ!ヘタクソ!」を思い返し、臥薪嘗胆。
何日も何週間も練習した。
捲土重来してやると、ピアノに向かう姿は鬼気迫るものだった。かもしれない。
音楽室のピアノはNのものだった。
そこからは「スパイ大作戦」が聞こえていた。
私は、腹を決めて佐々木小次郎に向かう、宮本武蔵みたいに勝負に出た。
「どけ」と叫ぶと、Nの手が止まった。
「何しに来た。ヘタクソ。やれるものなら弾いてみろ」と小次郎はニヒルな笑いを浮かべた。
私はひるまなかった。堅忍不抜。ここまで耐えて、日々精進を重ねてきたのだから。
左手の親指でドを鳴らし、次に小指で1オクターブ下のドを力強く抑えた。
もう、ポール・マッカートニーが乗り移ったように、夢中で弾きまくった。
いや、レコード以上に和音がついている編曲版だ。
当時の自分の持てる力を出し切った。
Nは震えていた。ヘタクソが蘇ったフェニックスのように見えたのだろうか。
うなだれて教室の外に出ようとしていく後ろ姿に、「お前なんか、ピアノは弾くな」と言ってやった。
「あゝ忠臣蔵」で仇討ちをはたした大石内蔵助役の山村聡の気分だった。
後から聞いたが、Nの弾ける曲は「ヘイ・ジュード」と「スパイ大作戦のテーマ」の2曲だけ。
なんとかの一つ覚えで、そればかり繰り返す。
取り巻きもすぐに飽きて、あっというまに相手しなくなり、いつも音楽室で一人で弾いていたそうだ。
家ではバリバリのショパンを弾く兄がいたから。
なんだか、可哀そうなことをした。
今では、ハートに火をつけて、小さな火種から燃やし続けられるものにしてくれたNに感謝している。
ごめんネ。でも、おたがい様。
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