ラヴェルに恋するしかなかった私は、すぐに心斎橋のミキ楽器に向かった。
棚にずらっと並べてあるうすい緑にオレンジの帯の全音の楽譜を探してもどこにもない。
黄色い帯にも、青い帯の楽譜にもラヴェルのソナチネはなかった。
店員に尋ねると、ここにございますと、輸入楽譜のRの棚に連れて行ってくれた。
あった。ペラペラの楽譜だった。
開いて確かめると、みどり先生の弾いたのは第3楽章だった。
薄いので安いかと思ったら、分厚いベートーベンのソナタ全集より高い。
小遣いが限られていた高校生には手が届くものではなかった。
最初のレッスンの日が来た。
妹がピアノのレッスンで使っていたバイエルとブルグミュラーをカバンに入れておばちゃんちへ向かった。
麗しの女神。みどり先生がそこにいた。
私は、バイエルとブルグミュラーを見せて、「先生、やっぱり、ピアノといえば、これから始めるのでしょうか」と取り出して言った。
先生は、「他の生徒にはそれを使うけど、あなたには使わない。」と、ラヴェルのソナチネより更にペラペラの楽譜を目の前においた。
私は一瞬、目を疑った。そこに書かれた文字は『ピアノの一年生』だった。
あの誰もが弾くアラベスクが載っているブルグミュラーよりさらに簡単なものだった。
「えっ、これですか」
「そう、ちょうど新しい教材を使ってみようと思った時に、あなたが来たから」と言われた。
ベラ・バルトークが考案したピアノの初心者のための教材だった。
少しも動じなかった。みどり女神は師匠だ。どんなことでも従っていこうと肝に銘じていたからだ。
とはいえ、最初はドレミファミレドからはじまるユニゾン。
簡単、簡単と弾くと、先生はフレージングがなっていない。一音一音の音符の長さもそれぞれの音の強さもバラバラで、均等に音が鳴っていない。全然、ダメという。
何度も何度も繰り返して弾かされた。
「よく、音を聞いて。ほら、左手の薬指の音が特に弱いでしょう。」
「親指に力が入って外に反っているわよ。意識して、もっと脱力して。」
言われれば、言われるほど頭が混乱して、指先の動きは不安定さが倍増していく。
レッスンの1時間はあっという間に過ぎて、12小節の初歩の初歩の一曲で終わってしまった。
とても疲れた。
このままでは、恋したラヴェルは聳え立つエヴェレストの頂上より遥かに高く、公園の幼児用の滑り台でさえ登れないのではと憔悴した。
家に帰ってから、『ピアノの一年生』と共にもらった『ハノン』で指の練習をするのだが、自己流で始めたピアノなので、どうしても親指に力がはいる。
次のレッスンで、初めに親指の話をしたら、構造上、親指は反りかえりやすいという。
親指が外に曲がらないように、先生の家では、小さいころから、ひねるところが3つの突起になっているものではなく、一本のレバーになっているものにすべての蛇口にかえたという。正真正銘のお嬢様だ。
どんな、音符の存在にも意味があり、大切な役割をになっていることを叩きこまれた。
書かれていなくても下に向かっている音か、上に向かうものかも丁寧に教えてくれた。
バルトークはハンガリー生まれの作曲家だから、その音階や響きは独特なものもある。最初は違和感があったが、先生から教わるごとに、言い古された表現だが、音苦が音楽になっていった。
普通のピアノの先生なら、全く経験もない大人の初心者でも早ければ2、3か月で終わるであろう『ピアノの一年生』を半年かけてやった。
その間、ハノンやチェルニーの30番も併用したが、この『ピアノの一年生』で徹底的に、音符の読み方、曲の解釈、曲想での指の使い方などを叩きこまれた。
やっと「一年生」を卒業し、つぎもバルトークの練習曲集『ミクロコスモス』を渡された。
名前がカッコイイ。
『バルトーク ピアノの一年生』と印刷されていたものから、楽譜には日本語が一切書かれていない完璧な輸入楽譜。
「ミクロコスモス」。辞書で調べると「小宇宙」。
エヴェレストの上をいくものではないか。
茶色の表紙の楽譜を見つめワクワクした。
5巻まであって、最初の1巻は『ピアノの一年生』より簡単なものだったが、みどり先生に音楽を教え込まれた私は、もうこんなものとは思わなかった。
最後までいくと「小宇宙」どころか、どんな「マクロコスモス」に行けるのだろうかと、その日は眠れなかった。
期待に胸を膨らませた、一回目の『ミクロコスモス』のレッスン日。
みどり先生が、少し残念そうな顔で私に言った。
「ごめんなさい。母校で音楽の講師をやらないかとの話があり、あなたへのレッスンがもうできない」
なんてことだ…。目の前が真っ暗になった。小宇宙がブラックホールに吸い込まれてしまった。
「でも、安心して。次の先生はもう決めているから。ヨーロッパ留学から帰ったばかりの優秀なピアニストだから」と。
その後は覚えていない。それほどショックだった。
女神は去って行ってしまった。いや、かぐや姫だったのだろうか。
でも、気を取り直して、ヨーロッパ帰りのピアニストに会う日を待ちわびた。
ついに、その日が来た。
ヨーロッパはみどり先生とは正反対だった。名前はおろか姓も顔さえ覚えていない。
お嬢様とはほど遠いケバケバしい場末のスナックのホステスみたいだったことだけは確かだ。
おばちゃんが紅茶を出してくれると、ヨーロッパから買ってきたという小さな缶を取り出し、中から小さな錠剤みたいなものを2粒取り出して紅茶にポチャンと入れた。
「砂糖で太るといけないの」
「それ、なんですか、チクロですか。」
と聞くと、ヨーロッパは「イヤーね。チクロは有害って知っているでしょ。サッカリンよ」と、その名のごとく砂糖の何百倍もの甘ったるい声で言った。
その声は、サルトルが言う、トネリコの根がまとわりつくように、私の心にべっとりとこびりつき、心を逆立てた。
ええい、やめてしまおうかとも思ったが、せっかく紹介してくれたみどり先生に申し訳ない。
それ以上にひょっとしたらこのヨーロッパ、すごい先生かもしれないと、湧き出ようとする嫌悪感をゴクンと喉を鳴らして飲み込んだ。
いよいよ、レッスンが始まった。
みどり先生からもらった『ミクロコスモス』を取り出し、アップライトピアノの蓋の楽譜立に開くといきなり言った。
「ふん、こんな簡単なもの。あなた今まで何やってきたの」とのたまった。
な、なんだ。私とみどり先生の充実した日々をすべて否定したヨーロッパは、持ってきたソナチネアルバムのモーツァルトのハ長調ソナタのところをひろげた。
「さあ、弾いてみて。あなたがどのくらいの程度がみてあげるから」
わたしが引っ掛かりながら弾き始めると「もういいわ。わかった。こんなのも弾けないのねぇ~」と冷たい声で言った。
「じゃあ、先生、見本を聞かせてください」と言うと、
「いいわよ」とピアノに向った。
素晴らしい演奏だった。と言いたいが正反対だった。
本当にヨーロッパ帰りか。
みどり女神に鍛えられた私の耳にはそうしか聞こえなかった。
さすがに、留学ピアニストの端くれだろう。言い訳をした。
「今日は調子が悪いわ。いつもならサッカリンは1粒なのに、今日は2粒入れちゃったから」
その頃、ピアノを習う動機のひとつであるベートーベンみたいなソナタを書いてみたいという目標に挑戦していた。
ベートーベンのソナタ第1番ヘ短調をひっくり返したようなものだったが、とりあえず完成した。
鉛筆で五線紙に丁寧に丁寧に音符を書き込んだ。
その記念すべき私のピアノソナタ第1番をピアニストがどのように鳴り響かせるのか。
身近なピアニストはヨーロッパしかいない。
意を決して、ベートーベンに影響されて作曲したと、ヨーロッパに見せた。
じっと見つめ、ヨーロッパは口角の下がった口を開いた。
「楽譜の書き方がなってないわ。こんなんじゃ弾けないわ」
「とにかく、弾いてみてください」
ビアノに向かったヨーロッパの演奏はヨレヨレだった。
途中でやめると、
「こんなもんじゃ、ベートーヴェン様に申し訳ないわ」とヴェの部分は下唇を歯に当てて発音した。
その頃の私はクラシックのピアニストの大半が初見が苦手なことなど知らなかった。
それにしても想像を上回るヘタさだった。
終わるととんでもないことを言い出した。
「ちゃんとした音楽教育がなされてないのが悪いのよ。友達が教えている高校じゃ、ベートーヴェン様のソナタを弾く子がいて、通知表には5をつけたって言ってたわ。あとはダメ。あなたもイチからちゃんと音楽の勉強をしたら」
私は怒りを通り越してあきれ返った。目の前のヨーロッパと友達の顔を想像した。
音楽大学にはお金持ちのお嬢様が通っているけど、みどり先生のような人はまれで、あとは魑魅魍魎の世界だと勝手に解釈した。
後に高校の音楽教師から音楽大学に行かないかと言われた時も、ヨーロッパを思い出して頑なに拒んだほどトラウマになった。もっともお金もなかったが。
「ベートーヴェン様」で私の腹は決まった。
もう、クラシックはやめよう。
レッスン教室のおばちゃんに「勉強に専念したいので、残念ですが辞めます」とウソをついた。
時同じく、Iが聞かせてくれたビル・エヴァンスに心を奪われかけていた私は、一気にジャズ一筋にのめりこんでいった。
みどり先生ごめんなさい。
ビアノソナタ第1番は失くしてしまったが、先生との思い出、「ピアノの一年生」と「ミクロコスモス」は今でも本棚のすみで眠っている。女神との夢をいまだに見続けたいから。
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