2017年12月18日月曜日

終わったシリーズ第3弾 「直虎」とラヴェル

終わったシリーズ第3弾

第1弾 べっぴんさんと大阪万博70'
第2弾 「ひよっこ」終わる


「おんな城主 直虎」が終わった。1年なんてあっという間だ。
視聴率はあまりよくなかったらしいが、「本能寺が変」など新しい歴史解釈もあり、毎回楽しみに見ていた。
今年の5月に「井伊直虎の生涯 不屈にして温柔」と題して、作家の梓澤要さんの話をNHK第2ラジオで聞いた。さっそく「井伊直虎 女(おなご)にこそあれ次郎法師」を読んだ。
NHKの大河ドラマと違う部分もかなりあり、かえってそれが面白かった。



大河ドラマの音楽は「花は咲く」を作曲した菅野よう子。
テーマ曲「天虎 ~虎の女」の演奏はパーヴォ・ヤルヴィ指揮のNHK交響楽団とラン・ランのピアノ。パンダではない。

この曲がかかるたびにラヴェルの弦楽四重奏曲が浮かんでくる。

1990年になると、CDが主流になってきた。
CDは画期的だった。
腫物を触るように取り扱い、年に一度カビがついていないか確認。薄いビニールで覆われている輸入盤なんか初めからカビだらけのものもあり、手入れも大変だったレコードに対して、CDは手軽で、手あかがついても簡単に拭けた。何度聞いても擦り減らない。置き場所もラックに何段にも収まる。
レコードだと、たまにカートリツジを落とし損ねて、針が曲がってしまうばかりか、レコードに傷がついて、その個所になると、プツ、プツ、プツと悲しそうに「お前のせいだ…。あぁ、痛い」と何度も繰り返す。
傷がつかなくても、ほこりが入り込んでプチプチいう。本当に面倒くさかった。

CDは初めはクラシックが多かった。といっても数枚だ。
ジャズのレコードは3000枚くらいになり、有名な定盤からレアものまで揃えていたからだろう。
レコード2000円ぐらいだったが、CDは3000円以上した。
裏の印刷されていない鏡のような面に傷がつかないよう、緑や黒のちょっとふわっとした保護シートを買うたびにくれた。今はそんなものはつける必要はないことがわかっているが、町の図書館でCDを借りるとケースにたまにそれがついていることもある。



最初に買い求めたのは、アルバン・ベルク弦楽四重奏団「ドビュッシー&ラヴェルの弦楽四重奏曲」。
もちろんラヴェルという名に魅かれてだ。ベートーヴェンじゃなくてよかった。大フーガなんて買っていたら、もうクラシックはいやだと思ったかもしれない。
カップリングされているドビュッシーも弦楽四重奏曲は1曲しか書いていない。地味に聞こえる弦楽四重奏、フランス人はあまり好まなかったのだろうか。モーツァルトは23曲、ベートーヴェンは16曲、ハイドンはなんと80曲以上も書いているのに。

ラヴェルの第1楽章の第2主題の胸を締め付けられるような甘美な旋律に、世の中にこんな美しい音楽があるのだろうかと、何度も繰り返し聞いた。



そのメロディーと「天虎~虎の女」がどうして混じり合うのだ。
チャンチャチャ~ンのイントロではない。曲のメロディーだ。「天虎~」を頭の中で鳴らしていると、いつのまにかラン・ランのピアノやN響のオケの音はフェイドアウトして、弦の音だけになり、ラヴェルになる。

おなじヒポフリギアという教会旋法の音律が使われている。シドレミファソラシという音階。
ちなみに第一主題はミファソナシドレミのフリギアだ。
曲の雰囲気がものすごく似ている。
服部克久の曲を小林亜星が訴え、最高裁で服部克久が負けた「記念樹」どころではない。

このCD、久しぶりに聞いてみようと思った。
普段ならラヴェルの弦楽四重奏曲しか聞かないが、最初に入っているドビュッシーは20年以上聞いていない。
どうせならと、ドビュッシーからかけた。
ラヴェルはモノクロのイメージがあるが、ドビュッシーには色がついてるな。などと思いながら聴いていると、な、なんと、雰囲気がよく似ている。第一主題はヒポフリギアではないか。
この弦楽四重奏曲、ラヴェルは、さすがドビュッシー、出来がいいな、といっていたという。
ラヴェルが弦楽四重奏曲は1902年。この曲を作った頃、フランスの最も権威のあるローマ大賞の音楽賞に何度も挑戦していたが、結局、第1等はとれなかった。ドビュッシーの弦楽四重奏曲は1893年、ほぼ10年前だ。
ということは…。
ドビュッシーがオレの曲をまねしやがってと、今の日本の裁判所に訴えたら、絶対にラヴェルは負けている。
そして「おんな城主の直虎」をも打ち負かす、私の大好きな弦楽四重奏曲は永遠に演奏を聴くことができなかったに違いない。
でも、それは絶対にないだろう。
ドビュッシーはラヴェルの曲よりも女性の方に興味があったから。
おしまい。

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