2017年12月3日日曜日

書くこと① つれづれなるままに

ずっと書くことをしなかった。何か、書こうと思っても何も浮かんでこない。書くこと自体がおっくうだった。

中学生のころ、内容は忘れたが、何とかの冒険という物語を書いた。学校から帰ってきてから、原稿用紙で30枚ぐらいを一気に書いた。中学生だから、徹夜はしていない。
翌日、持っていくとみんながおもしろがって結構、受けた。山本という女子が売ってくれという。いくらで売ってくれるといったので、10円といったら「いいわよ」と売買成立。こちらも「ありがとう」といった。考えれば原稿用紙代にもならず大幅な赤字だ。好きな子でもなかったが、自分の書いたものを喜んでくれるのがうれしかったのだろう。なんとなく大人びた雰囲気のある子だった。今頃どうしているのだろうか。

高校になると、文章を書くより、楽譜ばかり書いていた。
もちろん独学。そのころの興味は音楽と相撲。



初めてのバイトで買った「なんて高い本なんだ。よくこんな本を買ったな」と父が驚いたシェーンベルク「作曲の基礎技法」や島岡譲の「和声と楽式のアナリーゼ」を読んで、ベートーヴェンのソナタ全曲を分析したりして学習。ピアノ・ソナタや協奏曲を心斎橋のヤマハで買ってきたデカい何段もある楽譜に音符を書き込んでいた。フルートによる独奏曲を書いて、大阪フィルの首席奏者に見せたら、こんなの吹けないと言われた。

ほとんど文章は書かなかったが、唯一、文化祭のころになると、生徒が投稿したものが一冊の文集になるので、当時、凝りだした「ビートルズ」の曲はなぜ魅力的なのか、と題したものをかなり書き進んだが力量及ばず。まとめきれずに投降した。



学生になると、村上龍が「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞をとったと話題になった。衝撃的だった。でも、なんでこんなのが受賞するのかと批判めいたものをかなりの枚数一気に書いた記憶がある。文学には常に哲学や生き方の内容が伴っていなければならないし、そうあるべきだと思っていたからだ。貴の花親方みたいに。
哲学書などを図書館から借りてきて、自分はこう思うとか、レポート用紙に何枚も鉛筆で書き上げていた。
が、友達に見せてもわけがわからないと言われるばかり。むなしくなってピタッとやめてしまった。

それから10年ほどなにも書かなかったが、パロディーに一時はまった。
読んでもらうたびに受けたが、だんだん、内容が凝りすぎるとみんながついてこれなくてやめてしまった。

それ以来、30年間、ほとんどといっていいくらい文章を書くことをしなかった。



2年ほど前、文化教室でエッセイ講座があることを知り、応募した。
先生の書いた文章はなかなか魅力的で楽しみだった。が、突然、今回のエッセイ講座は中止しますと主催者の図書館側から告げられた。

先生がエッセイのはじまりはモンテーニュの『エセー』で、エッセイとはいっさい批判めいたことは書かないと言われたことに対して、モンテーニュは批判的なことも多く書いている、もっと幅広い意味で書いてもいいんじゃないですかと話し込んだ。噂で私が持論を滔々と述べまくったと聞いた。こちらは軽い気持ちだったが、批判されたと思われたのだろう。
今まで大学の先生でも同じように自分はこう思うと意見を述べたときに、相手もそれなりにそれはこうだと、互いに論を交わしていたので、同じようにしただけだったが、いつも同じ調子ではいけないことを学び、文章の感を取り戻すせっかくの機会を逃してしまった。
エッセイの先生、そして講座を楽しみにしていた方。すみません・・・。

このブログを4月に立ち上げて9月まで文章が書けなかった。それからも書くことが浮かばないと思っていたが、11月になって少しずつ身近なところから書いてみようという気が出てきた。少しはキーボードに向かうことが多くなってきた。

ピアノを常に弾いていなければ感が鈍るように、文章も書いていなければ、凍り付いたようになにも出てこない。
誰に見せるのでもないが、つれづれなるままに綴ってみようと思い、徒然草ならぬ「つれづれ章」とこのブログを立ち上げた。悪文でごめんなさい。

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