2017年12月9日土曜日

イメージと偏見

会合の控室で地元の小学校の校長とある話題になった。
小学校の修学旅行はどこに行ったかとなり、広島で京都に行ったと言うと、校長は私も大学に行くまでは広島市内でしたという。
私は広島と言っても岡山県境の福山だったので、広島は怖かったんじゃないですかと質問した。
「そんなことはありません」と、校長は応えた。

広島はヤクザの抗争で知られていた時期があった。
福山にいた頃、テレビで「ある勇気の記録」という番組があり、最初に「暴力と斗い 暴力に勝った広島市民にささげる」のテロップが出る、暴力団に立ち向かう新聞記者たちの物語だった。小学生だった私は、怖いと思いながらも、最後まで見続けた。白黒の画面がさらに怖さを増していた。
そんな記憶があったから聞いたのだ。
校長は、全然、そんなことはなかったが、自宅のすぐ近所で開かれた日教組の全国大会に、黒塗りの右翼の広宣車が何台も連なってきたことは覚えているといった。

その会合が終えて、家に帰るとテレビのバラエティー番組で東ティモールのことが放映されていた。
東ティモールでも豆腐があり、同じくトーフという。食べると日本のものとあまり違わないとか、テンプラもあるけど揚げるものはビスケットだったりとか、釣りの餌にするゴカイをご飯にかけて食べるなど見ているだけで気分が悪くなるような内容もあったが、それらを食べる日本人タレントと一緒に東ティモールの人はニコニコしながら、共に楽しんでいる様子だった。
世界で一番最後にできた国なので、世界の中でも東ティモールは治安の悪い国と聞いていたが、テレビでは全く感じられない。

今の所に住む前は、飯塚市だった。いわゆる筑豊。今でも怖いところというイメージがあるが、実際に住んでいて、普通の生活の中で怖いと感じたことは一度もなかった。

校長のいた広島もそうだろう。どこどこは怖いとか、貧しいとか、金持ちが多いというイメージがあると、それが1000分の1、いや、10000分の1でも全体を表しているような印象になる。どうしてだろう。
北朝鮮やアフガニスタンも一緒だろうかと、テレビを見ながらふと思った。


40年ほど前に仕事で隣の田川に行った。急用で連絡をとらなければいけない事態が起こった。今みたいに携帯がないので、公衆電話を探したが、田んぼばかりで、そんなものはない。
あたりを見回すと、大きな門構えのお屋敷があった。
あそこならと、走っていくと、門の真ん中にはとてつもなく大きな紋がついていた。
くぐって玄関で「電話を貸して下さ~い」と叫ぶと、中から、何故だか怖ーい角刈りが出てきて、いきなり、「何しにきた」とどなられた。
びっくりしていると、奥の方から「いいから、貸してあげなさい」と声がすると、角刈りの態度が一変。「こちらにどうぞ」とやさしくなり、部屋に通された。
女の人がいて、「電話使ってもいいわよ。よくこんなところに電話を借りに来たね」と優しい笑顔で言ってくれた。角刈りがお茶まで出してくれた。
電話で要件を済まし、丁寧に礼を言った。
帰ってから、会社で「いい人がいて、お茶まで出してくれた」と話すと「よく、あんな地元の人でも近づかない暴力団の組長の家に入っていったもんだ」とあきれ顔をされた。
偏見も知識もないから、行けたんだと思う。今なら、絶対にできない。
そんなことまで、思い出した。

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